リンクテキスト - Weblogの記事に追記された「言及に就いて」以下を拝見しましたが、文書作成のための意見としてはlink textを選択する(2)で述べた通りであり、あまり付け加えるところも無いと思っています。以下に記したのは議論というか対話のための補足なので、記事を分けました。
「反論
」と述べられているのですが、自分はリンクテキストの記事をこちらの意見に対する反論とはとらえていませんでした。こちらとしては「xxxという理由によりAという風にした方がよい」と述べているつもりであり、それに対して「必ずAをしなければならないという理由は無い」と言われたところで、別に「Aをしろ」と強制する意図はないので、「それはその通りですね」と同意するしかない、というところです。「別に必ずそうする義務は無いけれど、Aという風にしたらより便利なのでは」という感じで、両意見ともに並び立つものと思います。
もし「いや、xxxという理由でAという方法には欠点がある」とか「むしろxxxという理由でBという風にした方がよい」という意見を頂けるのなら、自分も反論として受け止め、それまでの意見について考え直すだろうと思いますが、今のところは意見を変えるまでには至っていません。
北村さんは個別の文章に就いて、「リンクテキストは、このように書けばどうだ」と言っているに過ぎない。
どちらかというと、WCAGその他の様々な意見(参考: 「ここ」というリンクについてのリンク集)をもとに、「『ここ』というリンクテキストは使わない方がよい」というのは汎用的な規範になり得る、という考えを踏まえて、これまで意見を述べていたつもりです。
特殊な例を持ち出して、「この場合には『ここ』をリンクテキストにするのも効果的だ」と言っているのは、三宅さんの方では。仮にその例についてはその通りだったとしても、その他多くの場合においてはやはり「ここ」リンクは使わない方がいいのではないか、という自分の意見は変わらないと思います。(付け加えれば、リンクテキストの文例においても、やっぱり「ここ」をリンクテキストにするのは有効ではないと自分は考えます)
というか、他人の原稿をマークするというケースを想定していないでしょう。
その場合については、先の記事の「仮に、文章の改変ができない事情があり、
…」以下で述べたつもりです。元文書の意味を明確にするという目的においても、他のリソースに依存するリンクという手法を用いるよりは、当該文書に閉じた形で補足説明を加えるようにした方がより効果的と考えます。
許されるというのは、仕様や規則に合致するという意味だけではありません。 より解かり易くするために、「ここ」という言葉に何らかのリソースを関連付けることは、HTML の理念や、あるいは道義上も許されるのではないですか。
文書作成において或る方法を取ることを許すか許さないか、というのは、最終的には文書作成者が決定することなのではないでしょうか。「読む人にどのような情報を伝えたいか」という確固たる目的があり、それに適う方法があるのなら、どのような方法を選んでも文書作成者の自由(熟語通りの意味で)だと思います。
仮に自分が未だ想定したことの無い文例があり、その文においては「ここ」をリンクテキストにすることが最も効果的な方法である、ということがあるのならば、自分も積極的にそのようにすると思います。(しかしリンクテキストの文例を含め、そのような例にはまだ出会っておりませんが)
HTML 文書の
いわゆるユーザビリティの問題として、言葉の「適、不適」を言うと限りがない。 どんどん専門的になって行く。
「限りが無い
」のはその通りと思いますが、しかしそのことに何か問題があるのでしょうか。限りが無いということは、よりよいHTML文書を作成する上で方法論を探求する余地がまだまだある、ということだと自分はとらえました。今後多くの人によって試行や論考を重ねていき、HTML文書を作成する上での定石のようなものを共有し積み上げていくことができるならば、それは将来の文書作成者にとっても有用なものとなり得るのではないかと思います。