さかなの子

 教室に入って席に座り、ふと隣を見ると女の子が魚顔だったので驚いた。魚に似ているというのではなく、正に魚そのものの顔なのだ。被り物かと思ったほどだ。それで思わず「すごい魚顔だなあ」と呟いてしまった。そしたら彼女は魚の目を潤ませ、周りにいた女子達からは「何てひどい事を」と非難の嵐が吹き荒れた。僕は平謝りに謝った。新学期早々えらい事をしでかしたものだ。
 以来、彼女の魚顔には頭が上がらない。

 何故か他の男子から羨ましがられた。皆が「お前いいな、あんな子の隣で」などと言う。「でも魚顔だぜ」そのたびに僕は言い返してみたが、計十九人に「意味が分からん」という顔をされ、それ以上主張するのをやめた。

 水泳部に入ろうかと見学しに行くと、彼女は既にそこに来ていた。
 プールにいる彼女は水を得た魚だ。彼女が五十メートルを潜水で泳ぐと皆驚く。僕は隣のコースで仰向けに浮きつつ、やっぱり魚顔だと思う。「さっさと泳げ」と先輩がどなる。

 この間撮ったクラスの集合写真を見ると、上段右隅にいた筈の彼女は魚顔ではなく人の顔だった。成る程、皆には彼女がこう見えるのかと納得した。写真の彼女は心持ち目と目の間が離れているが可愛らしい顔だ。魚に喩えればグッピーかな。
 しかし実際の彼女はフナ顔なのだった。僕の魚顔→人顔変換式には狂いがある。

 ある日、部活が終わって部員達と下校していると、捨て猫を誰かが見つけた。皆でぞろぞろと見に行く。
「可愛い」彼女が真っ先に猫に手を出して抱き上げた。かなりの猫好きのようだ。それを見て、僕は何故か不安な気持になった。
 猫の目を見た時にその理由が分かった。あの目は確かに「獲物を狙う目」だったのだ。抱かれた猫は彼女の顔をペロペロペロと舐め出した。彼女は笑い、皆もそれを微笑ましそうに見ている。僕だけが必死に動揺を押し隠していた。
「この猫飼おうかな」と彼女が言った時には僕は思わず猫をひったくり、理由をでっち上げて強引に家へ連れ帰った。惨事はいったん回避されたが、それでも時々彼女はその猫に逢いたいなどと言い出し、本当に逢いに来るので全く油断できないのだ。

 彼女はよく教室で居眠りする。たまに苦しそうにうなされている事がある。
 そういう時に揺り起こすと、彼女は教室の外へと走り出す。顔を洗いにいってるのだろうと思う。戻ってきた時の彼女の顔は実に爽快そうだから。
 そんな彼女のちょっと開いたえらに、僕は見とれる。■

北村曉 kits@akatsukinishisu.net