箒立て

 初めて会った時から叔父は手のひらの上でほうきを立てていた。何の支えもなく逆さに立った箒はゆらゆらと揺れていた。聞けば子供の頃からそうしているのだそうだ。そんな莫迦なと思ってその日はずっと叔父についていったのだが、夕飯のときも便所へ行くときも、寝てる間さえ叔父の箒は立ったままなのだった。
「隙があったら、いつでもかかってきていいぞ」
 叔父がそう言うので、ことあるごとに僕は箒を倒そうと叔父に挑戦していた。それは毎回失敗に終ったのだが。

 叔父は生業というものを特に持つことがなかったが、親に家業があったので、そのシンボルとして世間には認知されていたようだった。
「**んとこ、今日も箒立ってたよ」
「はは。甥っ子はまた負けたようだね」
「**屋もまだまだ安泰ってことさ」
 そんな風に叔父は暮らしていた。

 叔父を驚かしてやろうと屋根から家への潜入を試みたことがあった。しかしたまたま庭に出てきた叔父にすぐ見つかってしまった。
「おーい。なにやってんだあ」
 そう声をかけられて慌てた僕はバランスを崩した。「わあ!」
 気がついたら叔父に受け止められていた。両腕で。
「お、叔父さん箒は?」びっくりして訊ねた。
「ああ」叔父は目で上の方を示した。箒は頭の上でまだゆらゆらと立っていた。ちぇ。
「叔父さん、箒と僕とどっちが大事なのさ」
 そう言ってやると叔父は困った顔をした。それがちょっと愉快だった。

 叔父に「なぜ箒を立て始めたの?」と聞いてみた。
「大したことじゃない。学校で友達と箒を立てて遊んでいたら新記録になってな。どこまで更新できるだろうと思ってずっと立ててたら教師に注意された。箒を取り上げられようとしたけどさっとかわして教室から逃げた。絶対やめるもんか、と意地になった。それで今に至るというわけ」
 箒を見ると、柄には二の四と書いてあった。

 アメリカから叔父に会いに来た人がいた。どこで聞いたのか、箒立てで挑戦しに来たのだそうだ。
 彼にはTVカメラがついてきており、後にTV局のスタジオに招かれて二人並んで箒を立てることになった。叔父は暫くそれに付き合っていたが、あほらしくなったと言って途中で帰ってしまった。
 その人は箒を立てつつ帰国していった。一週間くらい経って、彼が箒を落としたことがTVのネタになっていた。そのころ叔父は僕の三百回目の挑戦を退けていた。

 何年か前に大地震があった。幸い僕は何ともなかったが、地震が収まって一安心すると、叔父の箒が気になった。いくら何でも今度ばかりは倒れたのではないか、と。
 急いで叔父の家へ行ってみた。叔父も無事だった。のみならず、叔父は半ば壊れた家の屋根の上に座り、箒を立てていた。
 いつのまにか叔父の家の周りに人が集まっていた。近所の人達がやってきて、叔父の箒が立っているのを見ると、ほっとした顔になり、暫く眺めた後帰っていくのだった。
 その時は叔父がちょっとカッコよく見えた。

 ある時叔父を訪ねると、彼は縁側で籐の椅子に座って寝ていた。これは箒を倒すチャンスだと思った。それで後ろからそうっと近づいて、わっ、て声をかけてみた。
 叔父はそれでも箒を倒さなかった。流石だな、と思って前にまわってみると、叔父の様子が変なのに気がついた。
 僕はただ黙って叔父を見ることしかできなかった。
 そのうち叔母がやってきて、「あら、あなた、どうしたの?」と叔父の体を揺すり始めた。

*

「……というわけで、叔父さんはとうとう、最後まで箒を立てたままだったんだ」
 とうさんは、ぼくの知らないとうさんの叔父さんの話を終えた。
「でもさ、」ぼくは訊ねた。「箒はそのあとどうなったの? やっぱり倒れたんじゃないの?」
「それは……」とうさんが答える。「お前の考えている通りさ」
 そう。聞かなくともぼくには答えが分かっていたんだ。
「そのうちお前の番が来るのかもな」
 とうさんはクスリと笑い、自分の手のひらを眺めていた。

 その手のひらに立った箒を
 いつかぼくは受け取ることができるだろうか。■

北村曉 kits@akatsukinishisu.net