鳥肌が立つほどの

4月16日の闇黒日記で、「鳥肌が立つ」という言葉について以下のように述べられていましたが、「鳥肌が立つ」という言葉の使い方について正しいとか誤りだとかを論ずる、ということ自体が、自分には今一つよく分からなかったりします。

誤つた意味で使つてゐる人の方が最近は多いやうだ。困つたものだと思ふ。

や、一応知識としては、「鳥肌が立つ」という表現は恐怖や嫌悪などネガティブな感情が生じた時に使うのが正しいとされているらしいということは知っていますが、それはなんと言うか「耳にたこができる」「足が棒になる」みたいな慣用句・言い回しとして「鳥肌が立つ」を解釈されてみたいで、ものすごく違和感があるのです。

だってある人が「鳥肌が立つ」と述べる場合というのは、実際に鳥肌が立ったからこそそう述べるんではないでしょうか。ただ言葉通りに、ありのままの事実として! ……と、自分は今まで思っていたのですが、違うのでしょうか。原因となった感情が否定的・肯定的いずれであろうが、実際に本人の身に鳥肌が立ったのであれば、それに対して他者が正誤を論ずることは無意味ナンセンスと思うのです。まるで「笑いすぎて涙が出てきたよ」という事実の叙述に対して「涙は泣く時に出るものだからその言い方はおかしい!」と返された場合のような、「そんなことを言われても」的感情が頭の中を漂います。

あれ、もしかしすると現代における世間一般の人たちは、身体機能的に実際に鳥肌が立つことはもうなくなっていて、でも言い回しとしてそういう言葉が伝わっているからというので「鳥肌が立つ」という言葉を使っているのでしょうか。であれば慣習上使い方が誤りである、という意見があるのも理解可能なのですが。でもそれはそれで「怖い時に実際に鳥肌が立たないのに『鳥肌が立つ』って言ったり書いたりするものなの?」という疑問が湧いてきたり。はてさて。

わたくし自身は、感動した時やエキサイトした時にも鳥肌が立つのは時々あることなので、「素晴らしい演奏を聴いて鳥肌が立った」のような文も違和感なく共感できるし、機会があれば自分でも躊躇なくなくそのように書くと思います。だって立つんだもの。

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ところで鳥肌と言えば、「自分の意思で鳥肌を立たす」というのは果たして一般的な動作でありうるのでしょうか。や、自分はときどきやるのですが、今まで他の人ができるかどうかを尋ねる機会があまりなかったので。眠い時に意識を呼び覚ましたい時とか、夏の暑さの中で一時の涼を得たい時とかにしてます。

(2003年4月17日)

北村曉 kits@akatsukinishisu.net